結局,「リベラルアーツ研究教育院は不要である」,ということ

至極当然の回答をしたまでだが,様々な媒体でくどくどと述べることは非効率的であるため,元学生としての意見をここに回答する.

設置以前にも文系教養が実施できていたこと

まずはこれに尽きるが,あのような制度がなくとも法学・政治・経済に関する授業は以前から実施できており,教育院という組織が本質的に不要だと言える.
と言うよりも,「もはやそうとしか言いようがない」ので,この期に及んで「リベラルアーツの重要性が」とか言われても何一つとして全く賛同しかねない.
こんな施策がまかり通るなぞ文科省の国家的なエゴによるものとしか説明できないだろう,こんなものやる前にまず学生の学費を下げてみたらどうだろうか.

精神的に未熟な活動家のような存在が公費で大量に大学に侵入していること

やはりという感じなのだが,リベラルアーツ研究教育院の関係者が東京工業大学の看板の下で悪目立ちしている様子が散見されており,その傾向は設置以降で何一つとして改善される兆しが見られていないのだ.
何故ならば,この大学の学長や経営陣や首脳陣も含め,バックグラウンドには常にマスゴミが待機しており,学生という真の若者の声を握りつぶしても平気な顔をして当事者ヅラまたは被害者ヅラできるからだ.
社会がいかのリベラルアーツ研究教育院を甘やかしているか,彼らは自覚していない,それは彼らがその職位やポストも含めて国家や官庁を揺するだけで何一つも不自由しない特権階級に他ならないためである.
例えば,自分のやった授業の内容がちょっと学生に拒絶されただけで,力になってくれそうな左寄りの新聞や雑誌にタレコミを流して,泣き言や愚痴を並べながら自分の受け持つ学生を徹底的に見下して,それが記事になれば自分の収入や名声に繋がり自尊心も満たされる,そういう行為を「仕事」にしている連中である.例えば,何かしらの問題を語ろうとした時に,自身がマスゴミと手を組んで散々に炎上させた内容を,同調もなければ人間ではないと言った口調で熱弁ができるが,本当に必要なはずの科学的な背景知識が教養として身についていない,そういう存在を「仕事」にしている連中である.なぜ彼らは,そのままであろうとしつつも自己肯定感が勝手に高まり,真の若者から受け取った拒絶の意思を無碍にできるのか?それは社会がリベラルアーツ研究教育院という概念を甘やかしているからに他ならず,任意の関係者も含めて有罪である.
当然だが人間は自分を馬鹿にした馬鹿な人間を馬鹿にする.しかしこういった活動家には金のなる木として常にマスゴミが張り付いており,対して我々はその声がそう簡単には大衆に周知されない,理系の若者男性はこの左傾化と高齢化を極めた国家において極端に不利であり,人権のヒエラルキーで言えばもうそろそろ底辺に近い存在となりつつある.その上でそういった馬鹿の拡声器なんて任意の情報源において日常にあるもんだから,授業で取り扱われる以前に若者は認知して拒絶することが可能である.WBPC問題しかり,村木○子しかり,上野○鶴子しかり,我々は叩き潰すべき社会悪としてそういった欺瞞が顕現しつつあるのだ.
「ぴえん」する教員は信用しない方が良い.子供ではない本当の大人とは「ぴえん」しない人間である.「ぴえん」させる余地を与えられるということは甘えるということであって,そして奴等は実際にそうなのだ.

学生に言いたいこと

とりあえず学部から入る方々は女子枠の設置の問題で大変だろうが,どうせアカデミアでも企業でも今後のニ十年くらいは任意のポストには女子枠があるっぽいので,日本国内で生きていく限りにおいて男性は下手な希望は持たないこと.学内に巣食う左派の活動家の授業は半分が4分の1くらいに聞いた上で,残された余力は自分の専門に関係なく理系教養の授業と英語に全力で投じて,その後の専門科目や研究では担当の教官に敬意を持って真面目にやること.金銭的な損得を考えた上で国内に留まることはなるべっく避けて,就活は外資も視野に入れて老人の養分になるのを避けること.そういえば昨日は不同意性交罪も通過したんだよね,あれって要件を見た限りでは「アルコールの摂取さえ認定されれば当人の意思だけで成立する」可能性が否定できないので,学内でも他学でも出会い系でもなんでもいいけどパートナーには酒を飲ませないこと.他人の気持ちよりもまず自分のキャリアが第一なので,そういったトラブル要因は徹底的に虱潰しにして安全に生きること.それらを乗り越えた先に,研究による社会貢献というノブリスオブリージュが君を待っている.