女は劣等である

女は女子枠で優遇される程度に劣等である.

~Q.E.D.~

以下,追記①

最近の話題として,お茶女の学生の単位不正取得問題,お茶女の教授(男)によるアファーマティブアクション(女子枠)のヨシヨシ…
これらは見事に女子教育の崩壊を示しているよね,やはり女は個人の能力でも組織の統一でも男に対して劣等であることがよくわかった
共学アカデミアの入試制度や奨学金制度における女子枠設立の以前の問題として,全身が女子枠であるような女子大学からして腐敗しているのではないだろうか?まして国立大学という国費を投入される組織としてこの状態は流石にダメだろう,健全で真っ当で賢い人間であればあるほどに女子枠や女子大学の現状については擁護に値しない存在であることは理解されると思う,嘗ての維新の志はどこへ行ってしまったのだろうか

以下,追記②

慶應義塾大学ワタミの施策が話題となっている.困窮大学生と一人暮らし女子学生に大学のカネで飯を配るそうだが,なんと一人暮らし女子学生に配られる飯は困窮大学生に配られる飯よりハイコストだという.福沢諭吉の曰く,慶應義塾大学は人しかも困窮している者の上に女を作るそうだが,しかしあまりにパブリックエネミーな思想なので空いた口が塞がらなかった.
この施策が意味することはただ一つ,女は一人暮らしをさせると私学に通うほどの経済的余裕があってもなお飯が食えなくなるということだ.男を基準にするなら,女は劣等であると言える.

以下,追記③

ついぞ今年度も東京大学(笑)が入学式のスピーチでやらかしたらしい.

多くのひとと出会い、多様な知に触れることで、解決すべき問題の多次元性に思いをはせ、よりよい社会の実現に向け、それぞれの力を発揮していただきたい

「単次元的な数理問題を取り扱う入試戦争」ですら劣勢な女,それ未満の(その課題可決能力を習得するために競争する最低限のラインにすら立てていない)劣等なんだけど,そこは無視していいの? 頼むからペーパーテストくらい自力で突破しよう?男がやっていることなら女にもできるはずでは?

女性をはじめ多様な学生が魅力を感じる大学であるか、多様な学生を迎え入れる環境となっているかも、問わねばならない

生物学的に全人口の半数を占めているはずの「女」は決して「多様」ではなくただ単純に「一様」な存在なんだが,いつまでたかが「女」をマイノリティとして崇めその負担を若い男に押し付けるの…?

…というように,本邦アカデミアはトップ層ですらとことん若者男性を馬鹿にしている・卑下している・搾取していることがよくわかる.東大に女子枠が誕生するのも時間の問題だろう.
そもそも世界的に見てもアカデミアのトップクラスに(男女同数の結果平等を導入しない限り)女の割合はそれほど高くはない,統計的な知能の分布で男の方が乱雑である事実を受け入れよ.

以下,追記④

今度は大阪大学が劣等日本女のヨシヨシ枠を設置するらしい,2020年代国立大学法人の「女子枠化」が本当に止まらないだろう…なればこそ,我々のような真っ当な男こそが,胸を張って「女は劣等である」と宣言していこうではないか.だって事実なのだから仕方がない,女は才能も意欲も忍耐も体力も全ての面で男に劣るからこそこうなった,としか言いようがない.
こういった意見を覆す可能性を与えられていた存在が,国際標準の考え方で言えばあり得ない存在である本邦の女子大学であったのだが,国立であり設立から半世紀以上が経過している自称トップ校でなおあの体たらくなので,日本人女性は基本的に実力で戦うことができない(だから集団でヒステリーを起こし社会から利潤を奪取するだけの)弱者であることは明らかだろう.

以下,追記⑤

ついに東工大の女子枠の入学生が炎上したらしい.まだ制度が開始して初年度なのに,さっそくアクセルをベタ踏みしたのが本当に面白い.女の持つ大学に対する「認識」は本当にこの程度であり,女子枠はこのレベルの客層をターゲットにした男性差別を伴った商売である…と考えても間違いなさそうだ.なぜか証拠の方から勝手に降ってくるわけで,たいへんい愉快である.

さて,このように男は各種の女子枠によって明らかな差別を受け利益を毀損されている.この世で最も男女平等を考えているのは,若者男性である我々に他ならない.最早このような劣等な女に対し,我々が今後の未来において与えるリソースは一切どこにもないということを示さねばらない.本邦の女に必要なのは「心地の良い制度」ではなく「実益と実害を伴い躾」である.